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試合日記・練習日記7   

3月15日(土)

謎が解かれた日

土曜日。弱小チームに大会はない。しかし、明日初勝利を目指して良い雰囲気を作らなければならない。練習を見て、まったく元気はないがバントやキャッチボールなど少しずつ上手になっている。ユウキのバントや、翔太の振りも良かった。ブルペンでは徹汰が快調。レベルの差を埋める努力をしたい。新監督を中心にサインプレーを実施。サインミスをする子や約束事がわからない子が多く、謎だった。今年の子の良いところは質問してくれる。ある子が私に言った。「ファーストストライクってなんですか」。当たり前に使う言葉。昨年10試合以上。今年も4試合やっているのに、当たり前に使っていた言葉がわからない。サインも不透明。新監督との意思の疎通がなく、これではサインミスもするだろう。謎が解けた。当たり前に使う言葉が子供たちにはわからない場合がある。確かに、野球はアホでは出来ないが、教えていないのも現実。ランエンドヒットとエンドランの違いもそうだし、これは子供たちに文句言えない低レベルな状況。それが急にAチームになってもできるはずがない。知っているには、昨年Aチームで活躍した子供達と、しっかりと話を聞く子供のみ。今年は何故??という謎が解けた。もっと試合前に、テーマを決め、再確認をしなければならないことが多々ある。勝つのはそんなに甘くない。上から目線ではダメなので、当面、練習内容は私が決めることにした。ただ、仕事もあるので、村田コーチ、平手コーチに助けてもらいながら勝利を目指す。Bチームの練習が変わった。すごく感心する。期待大。ジュニアーズが永遠であるために小さい時から頑張ってほしい。しかも4名の体験。嬉しい限り。

謎解きといえば、このホームページ、毎週更新していたが、平手コーチに見破られた。今年は監督でないので公開するまでもないと思っていたがバレた。ならば更に細工してやる。見破れたらメールくれよ。遊び心も必要。男は仕事と多少の遊び。それが私の考え。
3月9日(日)

一所懸命と言える者は結果を出した者が言える。

負けたら練習。大会もない。最悪な状態から1歩ずつ進む。OBの子供達も手伝ってくれて、猛練習と言いたいが、まずはしっかり捕ってしっかり投げる練習の繰り返し。今年度、初めて嬉しかった事があった。本当に不器用な貴之が、笑った。すごく可愛かった。プレーは腹が立つが褒めると笑う顔を見ると久々に嬉しくなった。厳しい練習はしていないが、恐らく現状の子供達にとっては、厳しい練習になっていると思う。私はいつも子供達いう言葉がある。「一所懸命やったと言える子は結果を出した者のみが使う言葉」何故なら、皆、一所懸命だから考え、努力して結果を出す。その結果は、どんな事でもいい。皆より声を出した。バントが成功した。ヒットが打てた。それが結果。だからこそ結果にこだわって練習してほしい。そして、新監督に大会初勝利をプレゼントしてあげてほしい。
3月8日(土)

翼を広げない子供達

チームから少しでも離れようと思っても離れられない。クールな目で参加だけしようと思っても見ていたら血が騒ぐ。そんな自分に腹が立つ。土曜日、毎年必ず練習試合をやっていただくチームから連絡があったので、練習試合をやって頂く。何故だか勝ったのに喜べない。何故?監督でないから??違う。数名のみでプレーして、淡々としている姿を見て勝った気がしない。収穫は・・・・・徹汰投球と徹汰の走塁。徹汰の守備に徹汰のバント。それでは意味がない。プレーでなくても、皆が精一杯、声を出すだとか、攻守交替はダッシュだとか、ランナーコーチは精一杯のジェスチャーだとか、何でもいいので皆で野球がしたい。子供たちは、必ず羽ばたける翼を持っている。どれだけの子供と接したかわからないが、特徴の無い子はいなかった。昨年までは、逃げて逃げて逃げまくって翼を広げようとしなかった子供達。今は、翼を広げようと必死に練習している。今、羽ばたけなくてもいい。卒団までには全員が強くなって羽ばたいてほしい。それを祈るのみ。
3月2日(日)

たった1球ですよ

日曜日、小牧市の初めての大会。私は代表としてベンチに入れた。本当に大事な試合。しかし、遠い1点に、たった1球の判断ミスで負けた。東本監督も気合が入っているが、何もかも裏目に出ていた。まったく得点するのに得意な形が出来ていないため。1点取れるのは、四球かエラー。手痛い1敗ではあるが、これ以上最悪はないので、上に登るだけ。予想以上の伸びのなさに少し苛立ちもあるが、スタッフがもっと想いを伝えれば必ず子供達にも通じるはず。今は焦らないこと。じっくりとチーム作りをするのみ。

もう二度と少年野球に携わらないと思っていたが、ジュニアーズの危機に残った。初めての父兄監督で大変な事もあるが、頑張っていただいている。私は1年目から、父兄など関係なく大暴れ。とにかく必死だった。月曜日から金曜日は野球しか頭にない時期もあった。厳しくすることなど考えていない。しかし、必死になると厳しくなって行く。勝つとみんなと遊んだ。子供以上の子供とも言われた。勝ち方がわからない。そんな時、攻撃も守備もワンプレーで流れが代わり、振り返ってみると大人の野球より難しい事に気がつく。1球のミスで負けた事も多々あった。たったワンプレーで流れが変わった事は相当ある。必死になると、知らぬ間に、声になりその声が、良いプレーに変わり、勝ちにつながった。そして苦痛な練習から楽しい野球に変化していく。1年間というスパンで毎年考え、起承転結を自分なりに考え卒団させた。この日記が辞められないのは、本当にうちのチームが好きなんだと自分で思った。父兄監督にも、勝つ喜びを味わってもらいたい。
3月1日(土)

土曜日、私自身酔が冷めないうちに朝が来た。今年度は、仕事上の付き合いなどを優先することから遅れて練習参加。キャッチボールを見た瞬間に、折角先週まで頑張った投げ方や練習法が元に戻っている。練習試合をやってもらったが、いつも通りキャッチボールしかやらない。新監督はメニューを考えているようだが、キャッチボールが終わらない。そのまま試合。反省もへったくりもない。普通に戦えるのは2名+1名。サインはわからない。せっかくの練習試合で消極的な攻撃。外野フライは捕れるわけない。打てもしないのに振り回す。これがジュニアーズなのか・・・・・・前向きに考えるのが普通だが、投手が三振取るか、投手ゴロ、牽制アウト、やっとショートの翔太でアウトを重ねるようになったが3名のみ。すべては、新チーム初日をいい加減な判断で休みにしたバチが当たった。勝ったら大会前に良い雰囲気を作るために皆で遊ぼうと思ったが、即練習。考えてみたら、新チームで昨年までBチームの子は苦労していないので、今が辛いだろうと思う。大事な大事な4年生5年生の時期を楽をしたのだから、何を言われても致し方ない。せめてサインやチームの約束事だけでも覚えてほしい。今頃低レベルではあるが、違う意味で泣けてきた1日でした。徹汰と皆実のバッテリー頼りではあるが、徹汰はエラーも一人だけなので十分合格。野球はチームでやるスポーツ。ベンチワークもバラバラ。チームもバラバラ。これ以下はなにでの、考えた練習をしてほしい。
2月23日(日)

笑顔が消えた日

終日練習日。練習試合も・・・と思ったが試合でとてつもないレベルの差を埋めなければならない。本当は楽しませてあげたいし、試合をやらせてあげたいが、Bチームから上がってきた子供たちは楽した分、今が厳しく感じるだろう。キャッチーボールの出来ない子をどんどん走らせたら残ったのが3名。これが現実。今年の子供たちは、口が非常に達者だが上手になろうという気持ちが少ない。道具を見ればわかる。ある程度上達すればグローブの型や、打てなければバットを借りたりして打つが今年の子はまったく気にしない。練習が厳しすぎるのか、理解力がないのかすっかりここ数年の、うちらしい笑顔が消えている。喜びを伝えたいのに、楽する喜びだけ覚え、努力して達成した喜びはない。今年、初めて思った事がある。ある監督さんから、まずは子供を鍛える前にスタッフを鍛えろ!私は否定的だった。それは毎週、私とベンチ内のスタッフでチームが作れるという自負があったが、ベンチを離れると、その方の言うことが理解出来る。残念だが、子供の前に大人かもしれない。大人たちの気持ちが高まれば子供達の気持ちも高まる。正直、私は、試合で負ければ子供の前で、これでもかと言うほど悔しがり、勝ったときは、相手に失礼になるほど喜びを見せた。それが1試合毎に、子供たちに伝わり、秋には自主的にモチベーションを高めていたスタッフに必要なものは、叱る勇気と、褒める気配り。子供たちは、勝って笑うこと。練習でも常に笑顔でいるために沢山褒められること。スタッフ一丸で、子供たちを喜ばせようとしなければならない。新体制とはいえ、出足は最悪だったので、もう登るしかない。子供たちよ・・・・頑張って乗り切ってほしい。
2月22日(日)

もう一度

今年度は、会社で相当責任のある立場なので、監督を退き総監督になった。海外出張も何もかも土日を外してきたが仕事優先しなければならない。土曜日、キャッチボールも出来ないチームではあるが初めての試合。調整に苦しみ、今年初試合。ユニフォームを着ないベンチ入りに少し戸惑いもあった。新体制で初めて見る試合。今年は辞めると決めていたので大人しくしていようと思ったが無理でした。まずは練習で甘い甘い考えの子供を試合に連れて行かなかった。しかも新6年生。ミスしても、泣けば許すスタッフ。俺は許さない。子供たちは、ゲームの如く、リセットして練習する。同じ繰り返しをして叱られる。ボール回しミスすれば、今年の子供達は必ずこのように言う。「もう一度やらせてください」。何度も何度も「もう一度・・・・・・」。何度でも出来るのはミスして這い上がった者が再度リベンジするのみ。その場しのぎの涙で、切り替えるのだけはすごく上手な子供達。成長なし!私も言いたい。現役時代、チャンスで打てなかった時、「もう一度やらせてください」。昨年度も負けた試合で、采配ミスの時「もう一度やらせてください」と言いたいが、そんな事は許されない。だからこそ、練習に練習を重ね、ミスした子がいてもチーム力で仲間を救う事に徹した。2名Bチームに置いていき、11名で挑んだ。前評判の高いチームだったが、同じ小学生。後ろで観戦したが、まったく機能しないスタッフに腹が立った。叱る勇気のない者は子供達に気持ちを伝えられない。まさにそんなゲームだった。先発投手は私が2年間見続けた徹汰。捕手は昨年Aチームで活躍した主将皆実。2名対10名以上の戦いにしか見えない。外野に飛べば終わり。守備で三振ゲッツーで流れをつかんだが攻撃力がない。ぶっつけ本番だったのでしょうがない?だったらエントリーしないほうが良い。結果1点返したのが収穫。確かに相手は強かったが点差以上の点差。勝てるチャンスはたくさんあった。1対3。この点差は、だらしないユニフォームの着こなし。行動の遅さ。遠足気分対学童野球の差。もう一度、この負けを反省して這い上がるしかない。

冬季オリンピック終盤。フィギュアスケート女子が興味あった。6位の選手がこれだけ讃えられるのは相当な存在感だと思う。私たちは練習や私生活をしらない。たった数分の演技で感動し、時として評論家になってしまう。何度も何度も練習したはずなのに、本番で成功しないのはスポーツはメンタルだという事を証明してくれる。しかし、捨てるものがなくなった時、すごい力を人間は発揮する。メダルが取れなかった選手ではあるが、何度も何度も大技に挑んだ姿には私も感動した。しかし、彼女も私の想像だが、ショートプログラムだけは「もう一度」やり直せるものならやり直したいだろう。それが許されないのがスポーツ。正直、ファンになってしまった。
2月15日(土)・16日(日)

なんじゃこれ!

新Aチームになって、スタッフも一新してから、何かがおかしい。土曜日、インフルエンザを含め休みの子が3名か4名。早退者2名。私が監督をやっている時代は、まったく考えられない。室内練習でも当然覇気がない。ただ単にこなす練習に久々に腹が立った。一部のスタッフを除きいい加減。礼儀も知らない父兄が、子供に礼儀など100万年早い。日曜日も、練習しただけ。主将皆実がインフルエンザ。3年間皆勤で野球一筋の少年がインフルエンザは致し方ない。練習メニューなど新監督が決めていたが、私が口出すのも良くないことではあるが、キャッチボールの出来ない低レベルな技術と、まったくやる気のない練習にうんざりした。他人事で監督も退き、仕事、プライベートを・・・・と思っていたが、まずは初日の練習中止でこの年が見えてしまた。弱いくせに強くなろうとしない運営。しかし口に出すのは優勝。「アホ同然」。どれだけファイナルまで残り優勝することが大変か理解していない。勝って喜びたかったら、他が練習しない時に練習して追いつき追い越す。3月は、私も休んだ事のない野球だが、海外出張などで今年は出られない。せめて、ファイティングポーズをとって戦うレベルになってほしい。

冬季オリンピック。久々にスキージャンプ競技で感動した。41歳のジャンプ。諦めない事がすべて。10代の選手が活躍する中私も感動してしまった。しかしながら、オリンピックは、考えられないほどのプレッシャーだと思う。メダルを取らなければならない選手。引退を考えている選手の想いは私には想像がつかない。しかしメダルを取れたアスリートも取れなかったアスリートも、必ずインタビューでいう言葉は「支えてくれた方に感謝」の言葉。それがなければスポーツではない。やっぱりスポーツはいいですね。野球だけでなく必死に戦う姿は、どんなスポーツでも感動する。当分、寝不足になりそう。
2月8日(土)・9日(日)・11日(祝)

新体制

8日、考えられない雪で中止。今年のスタッフのやる気のなさなのか!?総監督となって、お任せしようと思っていたが、じっと出来ない。結局、9日に初練習。素振りもできない状況。休んでいないのが救い。走り込み中心だが、まったく覇気のない練習。11日も同様。ヤバイ。ヤバすぎる。昨年よりはスタートは良いと思ったが私の目が節穴だった。私が見て、数週間で成長したのは、皆実が主将になって責任感が出てきた。あとは、まだまだ。救いは文也とリンタロウが、ランニングの際間違いなく必死になっている。それくらいかな!?すべては結果。勝敗の結果。子供達が成長する結果。最後までやり通す結果。気持ちを高めるのは大人達がやること。秋には嫌でも子供達が自分たちで考えやってくれる日が来る。1年目の監督と事務局。気持ちだけは子供に負けて欲しくないと思った、活動初日。
2月1日(土)・2月2日(日)

やり通した後の景色は美しい。やり通した者しか出ない涙もある。

2日、H25年度卒団式。頑張り抜いた6年生が次のステップに羽ばたく日。この日の為に頑張ったと言っても過言ではない。その前に土曜日は、新Aチームの練習。6年生は硬式体験。何となく6年生がいないのが不思議だった。土曜日は私も監督として最後の練習。先週からボールを持つ時間を減らし、どれだけボールを使う練習が楽か知ってほしかった。今しか出来ない練習。目的は子供たちがメンタル面で強くなることだけ。先週から見て皆頑張った。一部の3年生も入っているが、リンタロウ、ハルキ、文也も1週間で戦う姿勢になってきた。昨年と思うと、6名が残るため経験はあるが、まだまだ2〜3名しか必死になっていない。午後になり6年生が最後の練習。後輩を一所懸命教えてくれた。少しだけ私も嬉しかった。一所懸命スライディングを教えている。6年生も出来ない後輩を見て腹が立ってきたのか、怒っている姿を見て笑えた。つい最近までど叱られていた子供たちが、理解してくれない後輩に腹が立っている姿は私に似てきた。最後はH25年度公式練習最後を、たくさんの人数で終わった。新Aチームよ。やり通す「力」を持て!


日曜日、卒団式。午前中、雨で卒団試合は延期。私はいつも遠慮する。父兄と子供達で楽しむ場。残念だが来週やると聞いた。会場に入ると既に、在団生スタッフとママさんで設営されていた。優勝旗に優勝盾。正直、今年予想以上の勲章が少し誇らしかった。春先、とても勝てるチームではないと思った。H24年度も私と一緒にいた子供は3名。その他はビクビクしながら練習していたのが記憶にある。しかし、彼らは逃げなかった。苦しい練習も、罵声にも耐えた。土を耕し、種を蒔き、水をやり花を咲かす。花を咲かすためには、時には強風にも大雨にも耐えなければならない。まさに子供たちは、小学生での花を咲かせてくれた。卒団式、Aチームは13名中12名が皆勤賞。120日以上休まないことは、何より素晴らしい。Bチームからは残念ながらコウセイの1名だが、波偉斗に関しては恐らく2年か3年間休んでないだろう。継続は力。まさにそんな気がした。卒団の作文では、涙する子も沢山いたが、それは頑張った者しかわからない喜びと寂しさが入り乱れた涙。7名の6年生は、仲間達に感謝の気持ちをたくさん言っていた。小さいボールを使った野球が、大きな思い出と友達を得て上へ行く。最後までしっかりと作文が読めてお見事でした。2年間一緒に戦った楓真。最初に4番打者と決め、打っても打たなくても4番打者として育てたかった。春先は4番目の打者が、最後は4番打者に成長。何より、とにかく感情豊かでチームを盛り上げてくれた。捕手は、1年間、どうなるかと思った捕手だったが、一番チーム思いだった。それがすべてプレーに出た。の第一印象は透明人間。どこにいるのか探した。途中骨折もしたが、真面目で恥ずかしがり屋ではあったが、堅実な守備と、日記を読むと熱い気持ちを持った巧に成長しました。森道の第一印象は、言うまでもなく「水谷アレルギー」。最初はダウンばかり。フライは捕れないし、どうなるかと思った前半。しかしチーム一熱き男の子。最高の笑顔と最高の執念でチームを救ってくれました。ハルは無口で会話が成り立たない。聞いているのか聞いていないのか。野球が恐らく嫌いなんだろうと思っていましたが、いつの間にか派手なガッツポーズや後輩や仲間に対して本当の優しさを見せてくれました。駿大はほぼ6年生から入団。相当辛いと思いをしたと思いますが、よく我慢してついて来てくれました。自分の事で精一杯だった駿大がチームのために頑張っている姿は忘れられないです。そして波偉斗。2年間、100試合以上、波偉斗の投球を見ました。時に逃げ、時に考えずに投げるだけの投手でした。四球の少ない投手が、まったくストライクが入らない試合もありました。どれだけ練習しても、どれだけ良い投げ方でも、気持ちが弱いとストライクすら入らない事がわかったと思います。時として、投手は「打たせていいよ」という言葉が邪魔をします。打たせたいのは山々。しかし打たせることのできないほど動揺してマウンドで孤独感を味わうのです。波偉斗も経験したでしょう。そんな時はこう思いなさい。「絶対に打たせない」。そして、たまにはセカンドの方向や外野の子の顔を見てあげてください。いつも真っ向勝負です。主将として苦しんだ時期もありましたが、仲間にも助けられよく1年間引っ張ってくれました。そんな7名の6年生に感謝します。最後まで一緒に戦えたこと。最後まで泣いたり笑ったり出来たこと。また一つ、私自身にも自慢が出来ました。7名の6年生が一緒に卒団出来たこと。なによりの自慢です。また、いつかキャッチボールでも出来る日を楽しみにしています。卒団式に参加して頂いたご来賓の方、OBスタッフの方ありがとうございます。そして、毎年音響などやって頂ける瀧下コーチ。卒団式設営をして頂いたご父兄。そして6年生のスタッフとご父兄の方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。


H16年12月に長男と小牧原ジュニアーズの扉を叩いた。感想はない。正直、少年野球を馬鹿にしていたのかもしれない。H17年、長男5年生の時にコーチと呼ばれ、知らぬ間に毎週毎週5年以下で当時30名ほど見ていた。日曜日はスタッフが多く、5年生と4年生の一部だが、今のように組織が出来ていなかったので、いるスタッフが5年生以下を見るという組織。土曜日は地獄だった。2年生〜5年生まで最初は一緒に練習を初め、12時になると5年生と一部の4年生を除き昼寝をさせる。14時半ぐらいから、また5年生以下全員で、レベルの違う練習をしていた。夏前になると、若葉教育リーグがあり13名構成にしてCチームを作ってもらった。1つ上の学年はコーチと呼ばれる方がすごく多く、子供も6年生で13名いた。確かに楽しそうだったが、試合後はいつも叱られていた印象。私の野球理論と違うが従った。H18年度、当時監督が、子供が高校最終学年で、私がヘッドコーチと事務局を兼任した。地獄の始まり。この年に、JBLA、東海団地に初めて登録。移送も自分でやり、団旗も自分で貼り、スコアもつけながらサインを出した事もあった。救いは子供たちが必死についてきてくれた。あのメンバーで今の私の頭があれば、もう少し良い結果だっただろう。最後まで喜ばすことの出来ない指揮官だったので、最後の思い出を作るために、現ナガイスポーツ杯事務局長の近藤コーチとフレンドリーカップを作った。最後は、奇跡的な優勝だった。結果、31勝19敗。少年野球での勝利は、自分がプレーしているときより嬉しい。

その後、私は、ほかの父兄同様、子供について中学のコーチに行ったつもりが、何故だか3年生を見ることになった。息子は片隅で練習している。中学はモンスターがたくさんいた。親。そして野球を馬鹿にした子供達。帽子をかぶらずに練習している姿に憤りを感じた。私なりに向き合った。相当、当時の先生に迷惑をかけたが、大暴れ。よく父兄が口にしたのは「反抗期だから」。野球に反抗期はない。一部の親コーチを除き、クラブ化したコーチは、親の顔色を伺う。しかし、同じ志を持つ親コーチと勝つことを目標として頑張った。結果、不思議と優勝して愛日大会に行って終わったら、父兄は涙ながらに「ありがとうございました。コーチに来てくれて感謝します」と手のひらを返した。わかっていたけど、勝負事はすべて結果。2年続き、長男が3年生になる前に小牧原ジュニアーズに戻った。次男が6年生になる。よし!このメンバーと優勝しよう。2月に子供たちに言った言葉は忘れない。「俺についてこれば優勝させてやる」。その夜、次男が風呂で言った「やっちまったな〜」当時、流行った言葉。プレッシャーの中、13名の子供達と小牧市民体育大会優勝出来た。こんな嬉しいなんて・・・・・・たかが少年野球にハマりまくった自分自身。77戦。小牧原ジュニアーズが弱いと言わせたくない。とにかく、元気。元気に勝るものはないと信じて練習した。H22年、自分の子供は既に卒団している。せめて子供がお世話になったお礼と思い、1年だけ残ろうと思った。H22年は、6年生は少なかったが、上まで勝ち進んだ年度でもあった。優勝させてあげられなかった事が今でも辛い。H23年度、初めてビッグ大会で7回戦まで行った。もうその頃は、私に土日は当然ない。少年野球only。H21年度から、野球スタイルは変わっていない。元気と助け合う事だけが伝えたい。H24年度、私の土日生活も限界でこの年度を最後にしようと思った。過去にない勝率に大きな大会でも優勝出来た。この年は、本当にやっていても楽しかった。何故だか自分自身に余裕が出来た年でもあった。そしてH25年度。朝早い集合や、月曜日の仕事が辛いので本当に辞めたかったが、子供達をどんどん好きになっていく。昨年、11月に、H25年度が最後と決めた。残るなら、違う角度から少年野球を見たい。ベンチ内は、時として勝負にこだわりすぎて、周りが見えなくなる。それと、長年、同じ球団で指揮をとれば、監督様になっている自分に気がついた。これは自分をダメにする。トータル9年ちょっと。8割嫌な事、辛い事。2割嬉しいこと、楽しいこと。しかし、その2割が大きすぎて、8割を乗り越えられる。振り返ってみると色々な方と出会い、助けられここまで出来ました。そして、最高のメンバーばかりでした。アホと言われてもいい。やった者しかわからない「この景色」。私に携わってご支援頂いた方には感謝致します。


卒団式のサプライズを企画して頂いたご父兄やスタッフの方。恐らく、個人的にこんな感動したことありません。5年間の卒団生の寄せ書き。しかも全員。50名。私の宝物です。また、こんな私を信頼してついて来て頂いたスタッフや、子供達にもお礼が言いたいです。ありがとうございました。H26年度は、私が支援出来るように頑張ります。また、このホームページ日記も今日で、まずは最後です。たくさんの方から、お声をかけて頂きありがとうございました。
1月25日(土)・26日(日)

この日だけは金と同じ

平成25年度Aチーム・Bチーム最終戦。しかも最後は思い入れのある大会。Aチーム午前中にプレーボール。しっかりと子供たちのプレーを目に焼き付けたい。しかも私自身も考えてみれば背番号30は最後。良い勝負だけしてほしかった。先発投手は2年間Aチームで投げてくれた波偉斗。私も思い残す事のないように見たかった。初回安打を打たれるものの「0」をスコアボードに重ねる。相手投手のように球は速くない。時折見せる、三振を取りに行く速球が地面を叩く度に、彼の気持ちが伝わった。打線は、決して沈黙でもない。安打は出るが足を止められた。でも攻めるのが私の姿勢。何故なら0対0だし、相手好投手から連打は難しい。ベンチでもしっかり声が出ている。当然、ラストゲームだとわかっていた。守備ではサード楓真の攻守が光った。私が警戒していたのは2番打者。足が速い。内野も前に守らせる。4番でも5番でもスクイズがある相手なので出したくなかった。結局波偉斗は1安打のみ。ラストゲームで魅せてくれた。サドンデス。ノーアウト満塁から。サドンデスは打ったほうが勝つ。と思っていた。相手は5打者から。打ってくる。確信。何故なら私も表の攻撃で5番打者なら打たせる。ゲッツーだけ避けたい。浅いレフトフライ。落球!?と思った矢先に、ショート徹汰が3塁に投げずホームへ。1アウト。即3塁へ矢の送球。ありえないゲッツー。すべての判断が正しかった。その裏、1点取ればサヨナラ。6番は5年生皆実。打ち上げても良い場面だが、速いサードゴロ。ゲッツーか!??勝負の分かれ目だった。捕手はランナーを追っかけたので1アウト満塁。途中、何度も外すバッテリーでかけひきだったが、3ボールだけにはしたくないと思い、仕掛けたがファール。その後、相手の魂の投球に三振。8番4年生蓮。代打を出したかったが、サドンデスは代打が出せない。しかし、ボールが浮き始めたのか抑えがきかなくなった投手。3ボール1ストライク。打者をボックスの一番前に立たせている。投げるだけでも勇気のいる場面。最後は四球だった。5回も対戦した相手でどんどん成長していく投手。夏までは打たなくても攻略出来たが秋以降は豪腕に変わっていた。試合後、6年生も5年生も4年生までもが泣いていた。勝っても負けても同じだっただろう。まったく感情のない春先から、これだけ仲間想いで、必死になってくれた事が私も嬉しい。迅も森道も駿太もハルまでもが、後輩に「ありがとう」と言っていた。チームが1つになった瞬間でもあった。1回戦だろうが決勝だろうが関係ない。すべてやり抜いた満足感と少しの寂しさが混じった涙だった。

午後ははラストリーグの表彰式。盛大な表彰式に驚いた。優勝してたくさんご褒美を頂き、子供たちも喜んでいた。試合では3位決定戦でメダルを頂き、最高の最終戦になった。普段、2位以下は同じというのが私の持論だが、この日だけは金メダルと同じ価値のある銅メダル。「銅」は、金と同じと書いて「銅」と読む。「銀」は時として、金に少し足せば、金より良くなる。この日だけは何色でも良かった。私自身も最後のベンチ入り。1年に最低70試合としても500試合以上は指揮を執った。毎年思うが、いつも子供たちに助けられる。最高の仲間と最後の最後まで泣いたり笑ったりして戦った事。それが最高の思い出。それが学童野球。今の気持ちを忘れずに頑張ってほしい。