2月1日(土)・2月2日(日)
やり通した後の景色は美しい。やり通した者しか出ない涙もある。
2日、H25年度卒団式。頑張り抜いた6年生が次のステップに羽ばたく日。この日の為に頑張ったと言っても過言ではない。その前に土曜日は、新Aチームの練習。6年生は硬式体験。何となく6年生がいないのが不思議だった。土曜日は私も監督として最後の練習。先週からボールを持つ時間を減らし、どれだけボールを使う練習が楽か知ってほしかった。今しか出来ない練習。目的は子供たちがメンタル面で強くなることだけ。先週から見て皆頑張った。一部の3年生も入っているが、リンタロウ、ハルキ、文也も1週間で戦う姿勢になってきた。昨年と思うと、6名が残るため経験はあるが、まだまだ2〜3名しか必死になっていない。午後になり6年生が最後の練習。後輩を一所懸命教えてくれた。少しだけ私も嬉しかった。一所懸命スライディングを教えている。6年生も出来ない後輩を見て腹が立ってきたのか、怒っている姿を見て笑えた。つい最近までど叱られていた子供たちが、理解してくれない後輩に腹が立っている姿は私に似てきた。最後はH25年度公式練習最後を、たくさんの人数で終わった。新Aチームよ。やり通す「力」を持て!
日曜日、卒団式。午前中、雨で卒団試合は延期。私はいつも遠慮する。父兄と子供達で楽しむ場。残念だが来週やると聞いた。会場に入ると既に、在団生スタッフとママさんで設営されていた。優勝旗に優勝盾。正直、今年予想以上の勲章が少し誇らしかった。春先、とても勝てるチームではないと思った。H24年度も私と一緒にいた子供は3名。その他はビクビクしながら練習していたのが記憶にある。しかし、彼らは逃げなかった。苦しい練習も、罵声にも耐えた。土を耕し、種を蒔き、水をやり花を咲かす。花を咲かすためには、時には強風にも大雨にも耐えなければならない。まさに子供たちは、小学生での花を咲かせてくれた。卒団式、Aチームは13名中12名が皆勤賞。120日以上休まないことは、何より素晴らしい。Bチームからは残念ながらコウセイの1名だが、波偉斗に関しては恐らく2年か3年間休んでないだろう。継続は力。まさにそんな気がした。卒団の作文では、涙する子も沢山いたが、それは頑張った者しかわからない喜びと寂しさが入り乱れた涙。7名の6年生は、仲間達に感謝の気持ちをたくさん言っていた。小さいボールを使った野球が、大きな思い出と友達を得て上へ行く。最後までしっかりと作文が読めてお見事でした。2年間一緒に戦った楓真。最初に4番打者と決め、打っても打たなくても4番打者として育てたかった。春先は4番目の打者が、最後は4番打者に成長。何より、とにかく感情豊かでチームを盛り上げてくれた。捕手迅は、1年間、どうなるかと思った捕手だったが、一番チーム思いだった。それがすべてプレーに出た。巧の第一印象は透明人間。どこにいるのか探した。途中骨折もしたが、真面目で恥ずかしがり屋ではあったが、堅実な守備と、日記を読むと熱い気持ちを持った巧に成長しました。森道の第一印象は、言うまでもなく「水谷アレルギー」。最初はダウンばかり。フライは捕れないし、どうなるかと思った前半。しかしチーム一熱き男の子。最高の笑顔と最高の執念でチームを救ってくれました。ハルは無口で会話が成り立たない。聞いているのか聞いていないのか。野球が恐らく嫌いなんだろうと思っていましたが、いつの間にか派手なガッツポーズや後輩や仲間に対して本当の優しさを見せてくれました。駿大はほぼ6年生から入団。相当辛いと思いをしたと思いますが、よく我慢してついて来てくれました。自分の事で精一杯だった駿大がチームのために頑張っている姿は忘れられないです。そして波偉斗。2年間、100試合以上、波偉斗の投球を見ました。時に逃げ、時に考えずに投げるだけの投手でした。四球の少ない投手が、まったくストライクが入らない試合もありました。どれだけ練習しても、どれだけ良い投げ方でも、気持ちが弱いとストライクすら入らない事がわかったと思います。時として、投手は「打たせていいよ」という言葉が邪魔をします。打たせたいのは山々。しかし打たせることのできないほど動揺してマウンドで孤独感を味わうのです。波偉斗も経験したでしょう。そんな時はこう思いなさい。「絶対に打たせない」。そして、たまにはセカンドの方向や外野の子の顔を見てあげてください。いつも真っ向勝負です。主将として苦しんだ時期もありましたが、仲間にも助けられよく1年間引っ張ってくれました。そんな7名の6年生に感謝します。最後まで一緒に戦えたこと。最後まで泣いたり笑ったり出来たこと。また一つ、私自身にも自慢が出来ました。7名の6年生が一緒に卒団出来たこと。なによりの自慢です。また、いつかキャッチボールでも出来る日を楽しみにしています。卒団式に参加して頂いたご来賓の方、OBスタッフの方ありがとうございます。そして、毎年音響などやって頂ける瀧下コーチ。卒団式設営をして頂いたご父兄。そして6年生のスタッフとご父兄の方々にお礼申し上げます。ありがとうございました。
H16年12月に長男と小牧原ジュニアーズの扉を叩いた。感想はない。正直、少年野球を馬鹿にしていたのかもしれない。H17年、長男5年生の時にコーチと呼ばれ、知らぬ間に毎週毎週5年以下で当時30名ほど見ていた。日曜日はスタッフが多く、5年生と4年生の一部だが、今のように組織が出来ていなかったので、いるスタッフが5年生以下を見るという組織。土曜日は地獄だった。2年生〜5年生まで最初は一緒に練習を初め、12時になると5年生と一部の4年生を除き昼寝をさせる。14時半ぐらいから、また5年生以下全員で、レベルの違う練習をしていた。夏前になると、若葉教育リーグがあり13名構成にしてCチームを作ってもらった。1つ上の学年はコーチと呼ばれる方がすごく多く、子供も6年生で13名いた。確かに楽しそうだったが、試合後はいつも叱られていた印象。私の野球理論と違うが従った。H18年度、当時監督が、子供が高校最終学年で、私がヘッドコーチと事務局を兼任した。地獄の始まり。この年に、JBLA、東海団地に初めて登録。移送も自分でやり、団旗も自分で貼り、スコアもつけながらサインを出した事もあった。救いは子供たちが必死についてきてくれた。あのメンバーで今の私の頭があれば、もう少し良い結果だっただろう。最後まで喜ばすことの出来ない指揮官だったので、最後の思い出を作るために、現ナガイスポーツ杯事務局長の近藤コーチとフレンドリーカップを作った。最後は、奇跡的な優勝だった。結果、31勝19敗。少年野球での勝利は、自分がプレーしているときより嬉しい。
その後、私は、ほかの父兄同様、子供について中学のコーチに行ったつもりが、何故だか3年生を見ることになった。息子は片隅で練習している。中学はモンスターがたくさんいた。親。そして野球を馬鹿にした子供達。帽子をかぶらずに練習している姿に憤りを感じた。私なりに向き合った。相当、当時の先生に迷惑をかけたが、大暴れ。よく父兄が口にしたのは「反抗期だから」。野球に反抗期はない。一部の親コーチを除き、クラブ化したコーチは、親の顔色を伺う。しかし、同じ志を持つ親コーチと勝つことを目標として頑張った。結果、不思議と優勝して愛日大会に行って終わったら、父兄は涙ながらに「ありがとうございました。コーチに来てくれて感謝します」と手のひらを返した。わかっていたけど、勝負事はすべて結果。2年続き、長男が3年生になる前に小牧原ジュニアーズに戻った。次男が6年生になる。よし!このメンバーと優勝しよう。2月に子供たちに言った言葉は忘れない。「俺についてこれば優勝させてやる」。その夜、次男が風呂で言った「やっちまったな〜」当時、流行った言葉。プレッシャーの中、13名の子供達と小牧市民体育大会優勝出来た。こんな嬉しいなんて・・・・・・たかが少年野球にハマりまくった自分自身。77戦。小牧原ジュニアーズが弱いと言わせたくない。とにかく、元気。元気に勝るものはないと信じて練習した。H22年、自分の子供は既に卒団している。せめて子供がお世話になったお礼と思い、1年だけ残ろうと思った。H22年は、6年生は少なかったが、上まで勝ち進んだ年度でもあった。優勝させてあげられなかった事が今でも辛い。H23年度、初めてビッグ大会で7回戦まで行った。もうその頃は、私に土日は当然ない。少年野球only。H21年度から、野球スタイルは変わっていない。元気と助け合う事だけが伝えたい。H24年度、私の土日生活も限界でこの年度を最後にしようと思った。過去にない勝率に大きな大会でも優勝出来た。この年は、本当にやっていても楽しかった。何故だか自分自身に余裕が出来た年でもあった。そしてH25年度。朝早い集合や、月曜日の仕事が辛いので本当に辞めたかったが、子供達をどんどん好きになっていく。昨年、11月に、H25年度が最後と決めた。残るなら、違う角度から少年野球を見たい。ベンチ内は、時として勝負にこだわりすぎて、周りが見えなくなる。それと、長年、同じ球団で指揮をとれば、監督様になっている自分に気がついた。これは自分をダメにする。トータル9年ちょっと。8割嫌な事、辛い事。2割嬉しいこと、楽しいこと。しかし、その2割が大きすぎて、8割を乗り越えられる。振り返ってみると色々な方と出会い、助けられここまで出来ました。そして、最高のメンバーばかりでした。アホと言われてもいい。やった者しかわからない「この景色」。私に携わってご支援頂いた方には感謝致します。
卒団式のサプライズを企画して頂いたご父兄やスタッフの方。恐らく、個人的にこんな感動したことありません。5年間の卒団生の寄せ書き。しかも全員。50名。私の宝物です。また、こんな私を信頼してついて来て頂いたスタッフや、子供達にもお礼が言いたいです。ありがとうございました。H26年度は、私が支援出来るように頑張ります。また、このホームページ日記も今日で、まずは最後です。たくさんの方から、お声をかけて頂きありがとうございました。 |